1935年(昭和11年)版「Yamata号」カタログ表紙より
国産発動機搭載車
発動機
重量 37kg
直径 87.5mm
行程 108mm
馬力 649cc
構造明細
発 動 機 ヤマータ特製直立単気筒四行程
気 化 器 最新式レバー式調節装置
変 速 機 リヤカー専用ヤマータ変速機前進三段後退一段
電気装置 マグダイナモ式コイル式ヘッドライト及テール各一個を有す
車 枠 ヤマータ号
中島自動車を母体として発足
このようにして三輪自動車の製造販売を続けてきた中島自動車工業ですが、
戦時色の強くなる中、大正時代より三輪自動車の製造販売で一代を築いた
中島氏の後を受けて、木越氏は自動車部品の販売会社として昭和15年6月
「ナカジマヤ商会」を個人創業しました。
戦争が激化するとともに、木越氏も出征し会社は休業状態になりました。
戦争中の中断を経て、木越先代社長の復員とともに戦後再開し、昭和25年2
月15日に「株式会社ナカジマヤ商会」に改めました。
昭和38年5月には社名を「ナカジマ部品株式会社」と改め、以来50年間にわたり
多くのお客様のご愛顧と、永年の先輩功労者諸兄のご尽力と、また金融関係を
はじめ仕入先その他幾多の関係各位のご支援により、困難を乗り越え危機をきり
ぬけて今日まで事業を継続発展させ、頑張ってくることが出来ました。
昭和44年2月には、大東市に大東支店を開設し、事業拡大の礎をつくりました。
昭和46年2月には、貿易部を新設し、海外進出を図りました。以降昭和52年5月には
摂津市一津屋に摂津営業所を、昭和55年4月には旭区に旭営業所(後に守口市へ移転し
現:守口営業所となる)を開設、昭和57年5月には摂津市鳥飼上に北大阪営業所
を開設し、さらなる事業の拡大を図りました。
昭和58年6月に増資し、資本金4560万円となりました。
平成元年10月には旭営業所を、守口市へ移転し、守口営業所に改称しました。
平成11年6月には吹田市に、江坂営業所を開設し現在に至っています。